今日は台風だから家で競艇について色々調べてたら、こんな文字が飛び込んできた!
【今村豊選手 引退記者会見】
YouTubeでライブ配信するってなってたから、今村豊選手の事ははよくわからなかったけど見てたらなんか泣きそうになっちゃったよw
それから今村豊選手がどんな選手か気になって調べてみたら、とんでもなく凄い選手で、野球でいえば長嶋茂雄選手みたいな感じ(違うかな?w)の愛された選手だったから、今急いで記事を書き始めたって感じ!w
今回は今村豊選手のプロフィールから、競艇(ボートレース)界で残した数々の伝説を振り返っていこうと思う。
今村 豊選手のプロフィール
登録番号 | 2992 |
生年月日 | 1961/6/22 |
身長 | 162cm |
体重 | 50kg |
血液型 | A型 |
支部 | 山口 |
出身地 | 山口県 |
登録期 | 48期 |
級別 | A1級 |
今村 豊選手の経歴
1981年5月 | 徳山のデビュー戦でいきなり1着を取る |
1982年4月 | 蒲郡競艇場で初優勝 |
1982年5月 | SG初出場 この年最優秀新人賞を受賞 |
1984年 | 当時最年少でSGを獲得 |
1987年 | 平和島で開催された全日本選手権競走で優勝 |
1988年 | 多摩川で開催された全日本選手権競走で優勝 |
1990年 | 戸田で開催された全日本選手権競走で優勝 |
1992年 | 浜名湖で開催されたモーターボート記念競走で優勝(SG5勝目) |
1992年 | 特定疾患の一種のメニエール病を患い、一時はレースを欠場する |
2004年 | 福岡で開催された総理大臣杯を制し、12年ぶりのSG優勝 |
2007年1月 | 丸亀で開催された第16回JR四国ワープ杯競走で通算2,000勝達成 |
2010年4月 | 競艇名人戦を資格取得 |
2011年4月 | 名人戦資格2年目で初優勝 |
2014年3月 | 徳山で開催された準優勝戦で通算2,500勝を達成 |
2017年4月 | 芦屋で開催されたミニボートピア嘉麻で優勝、史上18人目の24競艇場を全て制覇 |
2020年7月 | 津で開催された津PR第2戦熱いぜ!夏男大集合で現役最後の優勝 |
2020年9月 | 徳山G1、ダイヤモンドカップが現役最後のレースになった |
2020年10月8日 | 現役引退 |
今村 豊選手の通算成績
※以下、Wikipediaより引用
- 1984年 笹川賞競走
- 1987年 全日本選手権競走
- 1988年 全日本選手権競走
- 1990年 全日本選手権競走
- 1992年 モーターボート記念競走
- 2004年 総理大臣杯競走
- 2010年 モーターボート記念競走
- 1982年 京極賞
- 1982年 競帝王決定戦
- 1986年 つつじ賞王座決定戦
- 1985年 トコタンキング決定戦
- 1986年 海の王者決定戦
- 1987年 オールジャパン竹島特別
- 1987年 新鋭王座決定戦
- 1988年 びわこ大賞
- 1989年 競帝王決定戦
- 1990年 海の王者決定戦
- 1990年 中国地区選手権競走
- 1990年 徳山クラウン争奪戦
- 1991年 大渦大賞
- 1991年 宮島チャンピオンカップ
- 1991年 競帝王決定戦
- 1991年 福岡チャンピオンカップ
- 1992年 赤城雷神杯
- 1992年 中国地区選手権競走
- 1992年 尼崎センプルカップ
- 1993年 中国地区選手権競走
- 1996年 ウェイキーカップ
- 1996年 全日本王者決定戦
- 1997年 北陸艇王決戦
- 1997年 京極賞
- 2001年 江戸川大賞
- 2002年 中国地区選手権競走
- 2002年 競帝王決定戦
- 2003年 つつじ賞王座決定戦
- 2004年 オールジャパン竹島特別
- 2004年 徳山クラウン争奪戦
- 2004年 全日本王者決定戦
- 2007年 海の王者決定戦
- 2011年 東日本大震災被災地支援競走
- 2011年 戸田グランプリ
- 2014年 競帝王決定戦
- 2015年 第16回マスターズチャンピオン
- 2017年 第18回マスターズチャンピオン
- 実働 39年5カ月
- 出走回数 8,207回
- 優勝回数 142回
- 1着 2,880回
- フライング 59回
- 出遅れ 3回
- 生涯獲得賞金 29億4,144万6,172円
- 初出走 1981年5月(ボートレース徳山)
- 初優勝 1982年4月(ボートレース蒲郡)
- SG初出場 1982年5月 笹川賞(ボートレース住之江)
- SG初優勝 1984年10月 笹川賞(ボートレース浜名湖)
- SG優出 47回
- SG優勝 7回
- G1優出 182回
- G1優勝 48回
- 最優秀新人賞(1982年)
- 最優秀選手(2004年)
- 最多賞金獲得選手(2004年)
- 78期連続A1級
- 通算勝率7.76
引退を決めた理由
引退理由は、レーサーに課せられる最低体重の変更だという。
「最低体重が51kgとなってから、体調管理で苦労してまいりました。11月からは、最低体重が52kgに変更されます。限界を感じ、9月の徳山記念レースを最後にしようと考えました。
デビューを徳山のレース場で迎え、引退も徳山。本当に私は幸せ者だと思います。昭和56年にデビューし、本日までケガなくやってこれた。振り返ると、本当にいいボートレース人生でした」
会見では、今村のファンを公言するタレント・坂上忍がビデオメッセージを寄せた。
「僕がボートレースのファンになったのは、多摩川競艇場で今村選手がツケマイ(まくりの一種)で彦坂(郁雄)選手をつぶしたレースを見て、とんでもない人がいると思って。それから、もう30数年です。ずっと今村選手を追いかけ続けてきました。今でもそうです。
本当に一ファンですけど、これまでありがとうございました。いい夢をたくさん見させていただきましたし、たくさん損もしました(笑)。それもこれも、すべていい思い出となっております。ずっとずっと応援しております。頑張ってください」
メッセージを見た今村も、「初めてお会いしたのは、福岡だったかな。ずっとファンでいてくれてありがたい。時の人ですから、私のファンでいいんだろうかなんて思いますけど。坂上さんもこれからテレビで活躍してほしいなと思います」と笑顔を見せた。
現役生活で貫いたことは、「人にぶつかっていかない。意識的に手をぶつけるとか、勝つために手段を選ばず、ということはしない。それだけはこの39年6カ月、貫き通せたかなと思います」と語った。
現在59歳だが、30代半ばでめまいや難聴、耳鳴りといった症状が出るメニエール病を発症。
「やっぱり、発作が出てしまうとレースができず欠場してしまう。(欠場の)回数が増すにつれて、関係者の方々に迷惑をかけている気持ちになり、引退を考えたことはありました。でも、なんとか踏みとどまって、もうちょっと頑張ろうと思えた。ここまで来れて、本当によかったです」
「やり残したことは」という質問には、「あったら、たぶんやめてないと思います。本当に満足感でいっぱいです」と、晴れ晴れとした表情で語った。「ボートレースは私の人生そのものです」と告げ、会場を後にした。
引用元:smart FLASH
まとめ
ここまで今村 豊選手がどれほどの功績を残してきたのか、引退のきっかけなどをまとめてきた。こんなすごい選手がいたなんてアロハマンも知らなかったけど、なんか増々競艇って面白いな~って思ったね!今村 豊選手の今後の活躍にも期待したいね!また新たな情報が入れば記事にまとめていきたいと思います!
今村さんお疲れ様でした👏